佐野デザインエンブレムがオリジナルと主張し続ける理由

誰でもわかる簡単な説明。
世の中にオリジナルは、もはや存在せずに誰かのデザインと似てしまうと言い張るデザイナー達。
その理由は?


kokki - 佐野デザインエンブレムがオリジナルと主張し続ける理由
これらは、日本とその類似すると思われる国旗です。
両方日本とはかかわりのある国ですが、オリジナルの国旗と言うあつかいになります。
デザインの意味は違います。
四角い枠に色つきの丸が書かれているだけですが、デザインは違うんです。
と、このように教わった人達が、デザインとは、色が変わっただけでもデザインに込めた意味が違い、全くの別物と言い張るので、もはやデザイン教という宗教的思想と同じものになっていると言う事です。
== 一般の人と考えが違う ==
しかし、お金を払ってかっこいいデザインが欲しいと思っている人に、同じデザインの色を買えただけで30万円です。とか15万円ですとか、もっと高い広告会社を通した依頼料と支払った場合に正当化するには、どうしたらよいのでしょう?
答えは、ふつうのお店と同じ思想、つまりブランド化です。
「このデザインは、あのOOO先生が作ったものなのですよ」
この構造、わかりましたでしょうか?
詐欺販売の手口と全く一緒です。
模倣である、と言った時点でオリジナルからの二次著作権が発生します。
しかし、そのオリジナルさえもオリジナルなのかはわかりません。
しかし、重要なのは
佐野多摩美大講師でもある人「オリンピックのロゴを作るのが ”夢” でした」
自分の夢をかなえられるのなら、全力でその仕事に精力を注ぐのが普通の人ですが、
デザイン画のパクリなど、多摩美大で教鞭をとる専門職でありながら、似てしまう事は研究自体を怠っている事の証明でもあり、自分で全精力を注いでいれば、ありえないぐらいの確立で起きることはないでしょう。
ブラジルのオリンピックもロンドンのオリンピックも似てると言われるような感じと一線を引いているのがわかりますが、今回のデザイン、ごろごろ転がっているような場所からピックアップして作成している。
もう、佐野多摩美大で教鞭をとってはいるが、そのセンスの無さはずば抜けている。
ずば抜けたセンスの無い人間が生きる方法は、発注者の意見によって簡単にデザインをころころ変える、
つまり デザインに自分の魂を吹き込んでいない。
多くの、伝統工芸の職人はプライドがあり、じぶんの 作ったものに魂を込めていると語る。
精進するために日々研究と努力を積み重ねた結果誰もが、美しいと思う。
それがデザインの根本。
似てる似てないは、表面的なテクニックだけでデザインを行う、いわば素人から、始めた駆け出しの者がやる行為。
つまり、オリンピックという国家的なイベントにふさわしくない技量である。
オリンピック関連の組織の人達が自分の爪痕を残したいが為のエゴが、デザインを修正させたり、自分の意見が反映できるような、魂の無いデザイナーを選んで実行させる。
責任者はだれか?
*佐野研二郎
パクリのデザインの数々が見つかっているが、オリジナルと話す彼だが、もう素人同然のピエロであったことは確実。誠意を見せて謝罪し、組織委員会に頼まれたことや会話の全てを暴露すれば、国民は悲しいみじめな人間を攻めることはやめるだろう。
しかし、夢とまで語った事と無断借用などやっている事自体がおかしい。
オリンピックや仕事、デザインなど、全てを侮辱していることは明らか。
この点については、許されないだろう。
*森善朗
オリンピック実行のためのリーダー的ポジションだが、もう時代遅れの政治手法が、現代では通じない事がわかっただろう。引退すべき。
*オリンピック組織委員会
悪の伏魔殿であることは、国立競技場を壊した際に、自分達の事務所も一緒に作らせてしまおうなど、国民の為のシンボル的なイベントへの期待や希望を持つ人たちを完全に無視した考えになっている。
どうして、自分達のちいさな利益を、だますような感じで求めてしまうのか?
人間として間違った方向にすすんでしまっている。
全員解雇し、第3者の検証を厳しく、複数の団体が行う必要がある。
*行政
行政のシステムが複雑になるから、こういう者達がでてくる。
簡素化した手続きと、多くの公告手続きなどを、隠さずWEBで全国民に公開するなど、今まで、役所の窓口にわからないように貼ったようなやり方は、通用しない時代を感じるべき。
行政職員の採用方法を変えるべき。
新規採用をやめ、10年以上民間で活躍した者で国家資格を取得した者を採用し、スピード、簡素、民間の思想に近いベストな判断などが出来る組織に改革が必要。
不要な部署はなくすことができるのが公務の基本。


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