レクレーションでカヌーやカヤックを楽しむ人に、うまいや下手などへの所感。
初心者やたまの休みにお出かけプレイヤーな人たちを批評する人がいると、始めづらいのではないかと思いつきましたので、これから始めようとする人たちへの参考になればと、思ったことを書いてみます。
レクレーションにうまい下手は関係ない
そもそも、日本にカヌーカヤックの教育は存在していません。
今までは、漕法の部分的なテクニックを書籍にして販売しているのが現状で、実際の環境との兼ね合いを書いておらず、つまりこういうモノがあります程度のインストラクションの一部分程度なものです。
実際には、それぞれのプレイヤーが自分で見つけたテクニックなどをやっていたり、それを知り合いに教えたりと、こういうことを一言で言うと
「流派」
なのです。
だから海外のような基礎教育でどのクラブでも統一されたものから発展したモノではないため、その流派通りなものを評価してうまい下手をいう人もいます。
カヌーカヤック教育のない日本にうまい下手などそもそも存在していないのです。
もう一つは、見た感じが不格好な漕法であるために、下手と評価しているタイプ。
音痴な人がカラオケを人前で歌ってはいけないのか?程度の同じようなことだと思っています。
下手だと危険を伴うという人もいますが、そもそも危険は当たり前の自己責任のスポーツなのです。
安全そうな場所ぐらいは、本人が判断できるでしょう。難しければ、慣れるまでショップやツアーなどに参加してみましょう。
探しているときが一番楽しいもの
趣味なものに限らず、クイズや推理、ゲームやスポーツなどどうしたら解ける?どうやったら相手に勝てる?など悩んでいるときが一番楽しいものです。
それを、カヌーカヤックを漕ぎながら、どうやったらもっと早く進む?楽に漕げるなどいろいろ試している時が、趣味を楽しんでいる時間といえるのではないでしょうか?
まとめ
本当に上手な人は、自分も通った道について何も言いません。
たいてい卑下する人はマスターベーションでしかなく、そもそも人をこき下ろして自分が上に立った気分になるという考えは日本的ではありませんよね。近隣の外国人の行動そのままです。
そういうわけで、自分の趣味の楽しみにけちをつける人は、内外からでもあるモノなので、気にせず楽しんだモノ勝ち。
ただし、マナーは守って、爽やかにね。
これから始める人、心のつかえが一つなくなりましたか・・・?
日本へのカヌーカヤックの普及が最悪だった
カヌーカヤックの競技はスプリントが初めで昭和11年からオリンピック競技として存在しています。
カヌーカヤックはオリンピックのスポーツであることを前提に、行政や社会へのアピールから始まればよかったのですが、現実は訳のわからない人たちのでたらめなカヌーで始まったために、世間の理解も得られない謎の小舟が漁師の縄張りを横切っているというへんな軋轢と摩擦の時代がありました。
RIOオリンピックでメダルを取る選手がメディアに出て初めてカヌーはスポーツと知った人も大勢いますし、未だに知らない人もいます。(毎年多大な予算を大手広告会社へ出費していますが、それはちゃんと使われているモノなのでしょうか?検査院の方に要チェック願いたいモノです)
レクレーション用のボート輸入などをしている会社も安全性よりも遊び性の道具を販売し、オリンピックに使える用具は見当たりません。
その延長線上のまま、競技連盟も存在してしまっているのです。
用具もそういう状態ですので、上手い下手などをいえる道具というよりも、レクレーションの道具なのです。
ボートの形状は多少違いが見られますが、購入し、乗船量が増えて癖がつかめれば、そのボートもうまく乗りこなせるようになるはずです。
カヌーカヤックは孤独を楽しみたいという人たちが始めたりするモノと考える人もします。
浮かべるだけ、浮かべてつりをする、浮かべて家族団らんを楽しむ。などなど、
そこに、批評は必要ないのでは・・・?
教育についてなど、ステップアップ指標に関してはエーネストブックに書いてあります。興味がある方はどうぞ。