ネット動画の未来の分岐点

TVが廃れた原因の一つとして、「垂れ流し」でも充分に番組は成立することに気がついてしまったこと。
それは、その場しのぎの賑やかしで楽しそうな雰囲気を作って集客というよりも野次馬を集めただけである番組が増えてしまったこと。

TVはバカが見るものとは、TVが始まって直ぐの昭和40年代には言われ始めていた。
バカみたい=面白い の図式を勘違いしたためだ。
バカみたいな哀れな様子を見て笑っているのは、低俗な人間であるのは、少し離れた目線で見れば気がつく。
冷めた目で見ていた知識人は、面白いと言うよりも、哀れを見て笑っている人達が哀れである事に気がついていた。
それは、TVの中のバカさ加減が白熱した「フジテレビ」時代では、笑いが正義という視聴率を求めた故に行き着いたデータがそこにあった。それに各局も飛びつき、全TV番組が低俗化していった。
低俗にいるのは、みているのは知識が低い者達。つまり、バカに合わせた番組を作らなければ理解できない人達にみせるものとして制作しなければならなくなった。

いつのまにか、結果として誰も残らなくなってきた。

視聴率は5%いけばかなり見られた番組であり、1%以下の番組も多発する時代となっている。
社会はもはや、TV発信の強引なブーム作りに嫌気が差し、誰も乗ってこない。

オワコンといわれて久しくなった。

 

では、インターネットの動画はどうだろうか?

知識レベルの高いものもあるが、実際個人制作なものなため、信用度が低い。
あとは、バズる、と言う言葉からも想像できるように、安易なネタが拡散されると、瞬間的な流行が生まれる。

しかし、その瞬間的な流行に乗っている大人はいないとって良い程度。社会人でそのようなものに顔を突っ込むことがいかに世間知らずかということを知っているからである。高学歴でさえ若者として取り残されたくないと勘違いしたおっさんがSNSで企業情報などをもらしたり、バカな意見を書いたりして、所属先で怒られるような者達だけが、いい年して、と馬鹿にされてしまう。

結局、ネット動画もSNS動画も、低俗差が進めば進むほど終わりに近づいてしまう。
プラットフォーマーは、どうせ 近い未来に新しい技術が席巻し、自分達は消え去ることはよぎっているため、違法だろうが、未成年者保護だろうが、最後の最後まで手を付けずに、お金に換えられるだけ変えようという姿勢である。

こういう、社会の流れは、近い将来世界で整備されるはずである。
しかし、今だけの無法地帯に近い世界が未来への経過という形で許されてしまっているのは否めない。

AIが中央集積化している現在は科学の進化という言葉の中に違法行為が蔓延しているが、やはり、個人や企業の責任で、個別なAIの利用をしてゆく未来にならなければならないだろう。AI動画のフェイクや著作物とはいえないと判決が世界で出てき始めた創世記だからこそ、早めに道を作る正統なリーダー的企業が必要であるが、AI利用の金儲けの模索ばかりで、民間では無理だろう。国家では戦略的軍事などを中心に投資されているため、社会のAIのポジションは全く決まっていないのが現状である。
ネット動画の未来は、低俗差の割合を激減させ、社会に有効な情報手段である事への道を作らなければ、終わるはずである。